映画よりアニメーションが先-エミール・レイノーEmile Reynaud-

エミール・レイノーEmile Reynaud
変態としては、テキストだけでもハァハァ読んでしまうが、興味ない人は全く?だと思うので簡単に。エミール・レイノーリュミエール兄弟が映画を発表する(1895年)より前にアニメーションを制作して上映していた。(1894年)
どういう作品かというと・・・お願いyoutube!これ100年以上前の作品ですのよ、奥様!

最初のもそうだけど、適当にあらすじつけて諸星大二郎が学生時代に作ったとかいえば通りそう。

「光のパントマイムpantomime lunineuse」と銘打ちこのようなアニメーションを上映し、中止された1900年まで自作した上映器械「テアトル・オプティークtheatre optique(光の劇場)」は50万人の観客を魅了したが最後は映画の勢いに対抗できず、劇場閉鎖。自作の器械も破壊してしまい、フィルムを来る日も来る日もセーヌ川に投げ続け、1917年1月9日に病院で死亡。『哀れなピエロ』Pauvre pierrot『脱衣所のまわりで』Autour d'une cabineの2本のみ現存。合掌。